HISTORY

山長の歴史

1759年〜宝暦9年(江戸時代)

変革と創業

奈良時代やそれ以前には、木を植えて育てるという概念は未発達で、建築などに用いられた木は、広葉樹林内に点在している針葉樹を伐り出して使っていたと推測される。
江戸時代に入ると、木材は城の普請(ふしん)や建設用材として、あるいは、薪炭材として盛んに伐採されるようになる。同時に幕府、各藩は森林の保護、育成に取組み始めた。築城などに必要な木材を確保しておきたいという政治上の理由以上に、薪炭が藩の財政を潤すという経済的理由によるものと考えられる。

紀伊山地の連なる山並み。霧立つ深い山並みが、海岸線まで連なっている

炭俵はカヤで編まれる。票木を作り、品名、等級、作者などを記載し票木の上から縄をかけて仕上げている

1759年(宝暦9年)

田辺万代記29巻に山長初代六左衛門の名が記載されている。
「是ハ、薪、苫(菅・茅等で編んで作ったもの)炭少々売買仕り候」とある。

1745年(延享2年)

徳川家重 第9代将軍 徳川吉宗の長男

1758年(宝暦8年)

宝暦事件

1777年(安永6年)

初代山田屋六左衛門 没。

1781年(天明元年)

2代目山田屋茂兵衛 没。
3代目長左衛門が商売を継ぐ。
これ以降の屋号が山長となる。

1817年(文化14年)

現田辺市石船において山林を取得する。
山長における山林取得の一番古い記録。

1817年(文化14年)

イギリス船、浦賀に来航

1823年(文政6年)

オランダ医師、シーボルト、 長崎に着任

1836年(天保7年)

4代庄兵衛 没。(40歳)

1844年(弘化2年)

5代新吉 没。(35歳)

1848年(弘化5年)

3代目山田屋長左衛門 没。(83歳)

1853年(嘉永6年)

アメリカの使節ペリー、浦賀来航
徳川家定十三代将軍となる

1823年(文政6年)

オランダ医師、シーボルト、 長崎に着任

1865年(慶応元年)

6代六左衛門 没。
(3代目死去の後、長左衛門)

1867年(慶応3年)

名字帯刀を許され榎本姓を名のる。
7代目榎本長七。

1878年(明治11年)

この頃以降、急速に山林所有を増やす。
薪炭の商売及び黒木や杉桧を伐採し木材商売を盛んに行う。

山長商店の線香帳(明治23年)

1901年(明治34年)

7代目榎本長七 没。(52歳)
8代目榎本傳治が山長商店の商売を継承し林業を拡大させる。

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